今年初めての練習風景撮影

今日で311から10年です。災害への備えをしようと思います。水買って、保存食買って、携帯トイレ買っておけばとりあえず車があれば食う寝るトイレは大丈夫。次の災害は必ずやってきます。準備出来るうちに準備して困難を乗り越えましょう。オグレラです。

最近さ、オグレラが一番早く到着するので何だか恥ずかしくって。気合入っているわけではなく楽しみだからさ、2時間フルに運動したくて到着が早くなるんですよ。練習試合の楽しみは去年の複数回の練習試合で再確認したけど、今でもやっぱり練習試合より練習の方が気性に合っていて練習なら体が動けば4時間どころか1日でもイケる。

試合より練習の方が好きだ、とか楽しい、とか言うと賛同を得られない事が多いのだが世の中の人はそんなに試合がやりたいのですか?

試合ももちろん楽しいしやりたいけど、ボクはまったりと運動できる練習の方が性に合っていると思っている。多分運動とか野球に何を求めているのかでそこらへんの所属が変わってくるのだと思う。もちろんそれだけじゃなくて野球のスポーツとしての特性も大きく関わってくる要素だと思う。

まず野球にボクが求めているものは体を楽しく動かせることである。体を楽しく動かせればとりあえずほぼ満足感を得られる。練習で思ったように守備が出来なかったり打撃が出来なかったりでへこみ気味になる事もあるが、それは前述した満足感を得た上での贅沢な要求が叶わなかっただけの話である。

外食で満足した帰りにコンビニで買ったアイスが不味かった、みたいなものである。

外食で満足しているので既に勝負には勝っている。そのうえでへこんでいるわけで贅沢といえば贅沢な話ですね。

練習試合も体を動かせるので基本勝ちパターンなのだが、そこには相手・勝敗という練習にはない要素が加わってくる。負ける事に慣れているとは言え貰えるものは貰いたい派のオグレラとしては勝てるものなら勝ちたい。その邪念が体を動かす事で得られる満足感を目減りさせるのかもしれない。他にも思ったようにプレー出来ない焦燥感を試合だとどうしても感じてしまう。試合というものはプレーが結果にダイレクトに、色濃く反映されるからだ。練習では麺と向き合うことのない「己の不甲斐なさによる不都合な現実」と嫌でも向き合う事になってしまう。

たぶん「自分は野球がプロ野球選手のように上手く出来ない」というシビアな現実を受け入れたくないのだと思う。何をアホな、プロ野球選手のように出来るわけがなかろうが、と思われるかも知れない。僕自身もそんな事は重々わかってはいるのだが、憧れるプレーを観るとそれと同等の事をしたくなるというのはその競技を続ける大きなモチベーションなのではないだろうか。無理とか才能が違うとかそういうのはまあ、いいじゃないですか。出来るようになりたいという思いがあるのに、なんで出来ない理由を持ち出す必要があるんだろう。やりたいならやれば良いだけだし、出来るようになりたいなら出来るようになればいいじゃないかと思う。

練習はその大いに勝手な論理に基づく運動を許容してくれるのだが、試合は実践の場であり僕の勝手な論理を持ち出す場ではない。だから練習をしたいんだと思う。夢をみれるから、かな。試合中に夢を見てたら大変な事になりますからねw

今日の練習でも色々試せたので、出来る事、出来ない事、やりたい事、色々わかったし、楽しく体を動かせたからほんと楽しかった。

キャッチャーからピッチャーへの返球は変化の兆しはない。ボクがやりたいのはつかぽんたんがえふわらんに返すような送球だ。あんな風な自然な返球をやりたい。そのためにひさどんの野球教室に行って送球、投球の練習をしているというのもあるのだ。もちろんキャッチャーからピッチャーへの返球だけでなく、守備時に1塁や2塁に自然に返球したいというモチベーションもあります。殿やナオミスターやえふわらんやつかぽんたんみたいにあくまで自然に肩に力が入るでもなく息を吸うように自然に返球したい。野球教室にいって送球、投球の練習をしていればいつかその領域に到達するかもと思ってやっているのだが、ここらへんは全然だ。でもそれが確認出来ただけで面白いからOKだ。

バッティングに関してはボトムハンドスイングにはだいぶ慣れてきたので以前に比べると変なスイングは減ってきたと思う。トスバッティングにしてもまだまだ全然上手くはなっていないけれど、以前に比べるとピッチャーに返すという意図を体現しやすくはなっていると思う。フリーバッティングもトップハンド打ちの時と遜色ないレベルの飛距離は出るようになってきた。ナオミスターにバットを立てる事、ボールをもう少し上げる意識で打つ事、60番師匠をもっと参考にする事、とアドバイスを色々貰えてタメになったし、何か今日はナオミスターも以前より真剣にオグレラにアドバイスをくれている気がした。やっとオグレラが真剣にホームランを打ちたいと思っていると認めてもらえたのかもしれない。

火曜日の野球教室でひさどんに「踏み込んだ時の脚幅はもう少し広く、そして軸足に体重を残すようにスイングする」というアドバイスも貰っている。イメージは出来るのだが実際にそういうフォームで打てているかはわからないけど踏み込んだ時の脚幅をもう少し広くというのはわかる。オグレラ、スイングの時に棒立ちになる事も多く、3年前の河川敷の動画なんかみるともう本当に棒立ちでこれはアカン奴や、というのが素人目にもわかるスイングをしていた。

今は脚を上げない方が安定して打てるのはわかってはいるけど、ホームランを打つためなら打率が下がるのは問題ないという方針なので脚を上げて体重移動プラス回転の力でバッティングしようと努めている。足のあげ方としては花島師匠のそれをマネしたいと思ってはいるけどあそこまで事前に、しかも大きく足を上げると重心がブレてしまうのでまだまだひよっこな脚の上げ方ではあるがやっている。某西武ドラ1の渡部っちみたいな脚の上げ方も魅力的ではあるんだけど、打てねーよあんな脚の上げ方じゃw

キャッチャーのワンバウンド処理の練習なんかひさどんの野球教室ではやっていないけど、今日は何故かワンバウンド処理が上手く出来た。なんでだろう。なんかワンバウンドがどう上がってくるのかが今日に限ってはわかるような気がして、ミットを構えたらそこにすっぽりすっぽり入りました。ゾーンに入ったか、もしくは赤司の天帝の目の能力が発動したのかもしれない。にしてもやっぱりつかぽんたんのキャッチャーはミットの構え方といい、返球の仕方と言い、ちゃんとしててカッコいいと思う。ネクストバッターの時に横から参考にさせてもらっていたのだけれどやっぱりちゃんとしている。動画でつかぽんたんのキャッチャーの様子を参考にさせてもらおうと思う。最近なんだか傍から見てもちゃんとしたフォームで野球をやりたいって本当に思う。昔はフォームとかどうでも良かったんだけど、まともにやりたいって常々思うんだよね。運動じゃなくて野球をやりたくなってきたのかもしれないですね。良い事じゃないですかね。その競技自体をたぶんだけど好きになってきたというのは。

コロナのせいでけっこう日常生活が変わってきてる所があるけれど、野球の練習はほとんど以前の日常と変わらない形で存在しているというのがなんとありがたい事なのだろうと思います。こういうオアシスがあるから色々制約も多い日常を正気でやっていけるんですよ。別に野球に限った話ではなくそういうものが1つでも2つでもある事が大事ですよね。ミラーズ様々ですよ、ほんと。

今日も練習面白かったなぁ。運動するってほんと楽しいですね。

大切なこと書き忘れた。今日の動画、後で掲載しておきますね。

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