スポーツのチカラ

今日はスポーツは素晴らしいなと感じました。ただただそれだけです。おぐーです。

オリンピックの開会式には閉口したけど競技が本番だからと気を取り直して2日間。ボコられたナイター野球を挟んでオリンピックをテレビ観戦で楽しんでいる。正直コロナで盛り上がらないかと思っていたが、始まってみたらそんなの関係なかった。コロナ感染拡大の問題はあるけれど、それはそれ、これはこれという感じになっている。政府の思惑通りな気がするのがちょっと嫌なんだけど、心に正直に行動しましょう。

正直言って同時並行で競技が開催されているので観る方が追い付かない。

何がいつどの局で放送されるのかが全く分からないのでチャンネルをザッピングすることになるが、LINEでそれとなく情報が伝わってくるのが今どきのボクのオリンピックだったりする。便利ではあるけれどネタバレの危険と隣り合わせというね。とりあえず画面の上の方に「LIVE」と書かれてあるものであればネタバレの心配はなくワクワクとドキドキを堪能することができる。

今日はスケートボード、卓球、柔道、サッカーをLIVEで見てしまった。肝心のバドミントンをライブで見忘れるという大失態を演じ、歯噛みをする羽目に。

結果はいちいち書く必要はないだろう。

ボクが今日一日視聴して思ったのはやっぱりスポーツには「何か見えないパワーのようなものが存在する」と感じた事だ。

スポーツは手軽にやると楽しい。出来ても、出来なくても。体を動かす事自体がおそらく人間にとっての快楽なのだろう。単純に楽しい。

そしてスポーツは真剣にやるとキツい。真剣にやると欲との戦いになる。目的が何かを手に入れることになるからだ。何かというのは人やシチュエーションによって異なってくるが、身近でいえば「好きなスポーツを上手くなりたい」という気持ちや「スポーツの対戦で勝ちたい」という気持ちを満たすために自らを律して試行錯誤していくことになる。それは当初の「なんか楽しい」という快楽からは遠く離れたゴールのない旅路となる。スポーツを真剣にやっている人は多かれ少なかれ旅立っているはずだ。ボクはこと野球に関して、旅立ったり帰途したりを繰り返していて、遠くに行くこと能わず、結果いまだ快楽の域を出る事が出来ていない。それはもしかして幸せな事なのかもしれないと、オリンピックの代表選手たちを見ていて思うこともある。

人生をその競技に費やしてきて、4年に一度(今回は5年間だったが)の大会でほぼすべてのものを犠牲にして代表選考を勝ち取った選手たちの大多数が志半ばにして去っていくことになる場面を何度も画面で見ることになった。そして何故かその時の選手の発言が自己の無念というより他者への痛恨の陳謝になっていることが多いのだ。

自分の快楽のために始めたスポーツがいつの間にか自分の人生のアイデンティティーをかけた道のりになり、おそらく周りを盛大に巻き込んでたどり着いた決戦場で結果を出せなかったのだろう。もう、既にその道のりは一人のものだけではなくなっていて、それがわかっているからこそ他者への陳謝という形で口外されることになるのだろうなと感じた。

周りは勝手に期待する。近しい人たちはそれなりの見える・見えない形でのサポートをしているだろうからまあわかる。

ところが見ず知らずの我々も選手に勝手に期待する。自らは何もしていないにも関わらずだ。本当に調子のよい話で、そのくせやれ予選で全力を尽くさないから予選落ちしただの、もう選手としての賞味期限が切れているのに辞め時を逸して晩節を汚しただの勝手気ままに批評する。

まったく大変なことだ。

それでも選手たちは果敢に挑み、僕たちはそのチャレンジを観戦する構図はオリンピックが終わるまで変わりなく続く。

これってやっぱり庶民にとっては素晴らしいパフォーマンスを堪能するイベント、代理勝利欲求を満たすためのイベントなんだろうなぁと思う。見てドキドキワクワクして楽しいのと、結果を残した選手を見てなんだか何かを手にした選手を見て自分達も満足するって寸法だ。

メダルメダルといちいち順位にこだわるのは下種だと思いつつやっぱり選手がメダルを手にする所を見たいと心の底ではボクも思っていたりするし、実際みんなそうだと思う。

だけど。

今日、スケートボードの試合と、柔道の試合を見た後、選手のインタビューを聞いていて、それらとは違う感情にとらわれている自分がいた。

選手たちが先ずいうのは「大会自体が開かれるかどうかわからなくてモチベーションをどう組み立てていったらよいかわからない中、大会を開いていただけることになってとても感謝しています。この場があるのはみんなが努力して大会を実現してくれたからこそ」みたいな言葉をみんな言う。

オリンピックを自分勝手に見るだけのボク達は基本的に開催されれば見るし、中止になれば見ないだけでいつもの生活になんの影響もない。大谷のMLBが見られるようになって歓喜する人さえいるだろう。

でも選手たちは本当にどうなるかわからない暗闇の中、東京オリンピックに対しての準備をし、コロナに感染しないように細心の注意を払い、1年延期された大会に参加するためにトレーニングをさらに1年間費やし、この大会に参加していたのだ。

言葉の中からすごく切実にその感情が伝わってきてそれだけで泣けた。人生をかけてやってきた事が報われるかどうかわからないにしても披露する場だったものが突然奪われる理不尽さというのは筆舌に尽くしがたいだろう。

その大変さが言葉に溢れて出てきていて、ボクは今まで何もわかっていなかったんだなぁと自分の感受性の低さに嫌気がさしたのだ。そもそもワクチンを大会に出場する選手に優先的に摂取するというJOCの計画が発表された際に、世間と選手はかなりナーバスな感じになっていたのを思い出す。世間はオリンピックなんか開催している場合じゃないだろうという雰囲気と合わせて、選手が接種に割り込んで・・・みたいな雰囲気もあったかに思う。選手は選手でそういう世間の雰囲気を感じてか、選手が優先的に摂取するのは申し訳ない・・・みたいなまるで悪いことをしているかのような反応でのコメントが多かったような記憶が残っている。直前までそんな感じだったじゃないですか。選手たちは自分の事だけでも前が見えない不安感でいっぱいだっただろうに、世間のピリピリとしている空気にまでうまく対応しなくてはならなかったのだ。そういうことを経験したうえでたどり着いた舞台での発言というものには重みがあって心に響いた。

だから改めて思う。この東京オリンピック2020が開催されて良かったと心の底から思う。

もちろんコロナ流行で命を落とした家族を持つ人たちにしてみたら感染拡大を招く恐れのあるイベントを世界的パンデミックが起こっている最中に開くことが正しいのかと自らの悲しい経験をフラッシュバックさせながら思うに違いない。それに関しては経験者にしかわからない痛みがあってボク達にはその痛みは本当のところはわからない。そんな人たちが身近にいてその彼らの前で酒を飲んでテレビでワーワー観戦している姿を見せられるかといったら、たぶん見せられない。そこらへんのジレンマは残ると思う。でもワクチン接種がある程度進み、感染者は増えていても重傷者の割合は以前よりも減っていると聞くと、そこらへんに妥協のというか対応の道筋を見出すしかないとも感じる。感染防止に努め、出来る限りの努力をして生活する以外にもう、方法はない状態なのでないかと。

ワクチンを2回接種しても感染回避防止割合は変異株だと35%位なのだとか。重症化防止割合は93%くらいらしい。つまり2回ワクチンを接種しても半分以上の人がデルタ変異株にはかかるということだ。となればもう出来る限りの感染防止生活をしたうえでワクチンを打ち、普通に生活するしか事実上やれることはない、ということになるわけで。

オリンピックやワールドカップが無くなったら今までの生活とはかけ離れたものになる。仮に中止したとしてそれをいつまで続ければじゃあ中止を再開し生活していけるのかというと、この変異株の発生スピードを見ているとそんな時はやってこないのではないかという気さえする。ここまで全世界に広がり封じ込めに失敗している状況ではワクチンを打ちながらウィルスが弱毒化して落ち着くのを待つしかないと普通に思う。

だからもうベターではあるけれど、徐々に普通の生活に戻っていく流れになるのは致し方ないかと・・・・。こういうこと言うとなんか言われそうですがね。

というのもですね。柔道女子52kg級の表彰式が素晴らしかったんですよ。ブシャール選手と阿部詩選手と3位の選手たち4人が表彰台でメダルを授与されているとき、3位の選手、イタリアの選手だったかな。すごくすごく嬉しそうにメダルにキスをしていた。その心境は今はボク、すごく共感できるんです。トレーニングをしていたわけじゃないのになんだか一緒になって凄く嬉しい気持ちになってました、その光景を見て。良かったねって。

そして決勝で阿部詩選手に負けてしまって銀メダルのブシャール選手。決勝を見てたけどバネとスピードが凄くて、立ち技の能力的にはブシャール選手の方が優勢だなとみてて思いました。すごい選手でした。銀メダルを受け取るとき凄くこらえた様な悲しそうな顔になっていた。今までの苦労が最後の最後で報われなかった事に悲しんでいるのが見ているこっちにも伝わってきて沈痛な気分になってしまった。別にこのフランスの選手に思い入れなんてこれっぽっちもないのに。

その選手たちが国旗掲揚国歌斉唱が終わってマスメディア用の記念撮影に入った表彰式の中盤で、さっきまでオリンピックというメダルを争って戦っていた選手同士、表彰台の中央に集まってお互い笑顔で称えあっていたんです。もちろん悔しい思いはあるでしょうし、マスメディア向けの笑顔という側面もあるでしょうけど、それだけじゃない、この苦しい状況を戦ってここまでたどり着いた者同士、全力で戦いあった者同士しか分かり合えない境地みたいなものが4人を結び付けているような感じでした。ブシャール選手も思うところは絶対あると思うけど笑顔になっていた。その笑顔は絶対に作り笑顔ではない、やり終えた、という自分自身出来ることはやった、という4年間の旅路の終着点に立つものだけが出来る笑顔を見せてくれていたと思える良い笑顔だった。4人とも晴れ晴れとした顔をしてくれていたのを見て、ボクは心を揺さぶられました。うるっときました。

極言すれば自らの野望達成のために戦っている姿を見せているだけなのに、その光景を見ているものの感情をここまで揺さぶるスポーツって何なんだろうと思ったわけです。スポーツは無力な存在では絶対にないな、と思いました。大げさな、と思って聞いていた東日本大震災の時の楽天(現ヤクルト)嶋の言葉も今かみしめると、正しかったのかもしれないなと思っています。

スポーツには人の心を動かす力が間違いなくあると思います。それもちっぽけな力じゃない、一人が数億人の心を揺さぶることも出来る大きな可能性もあるチカラを内包していて、オリンピックというのはそれを伝播させることができるパワー増幅伝達イベントという側面もあるんだなと。

IOCという組織は腐っているかもしれないけれど、オリンピックも商業主義に塗れているかもしれないけれど、スポーツのチカラを伝える器としてのチカラは今日感じました。

ボク自身、スポーツしても上手く行かない事が多くて嫌になる事が多いのですが、どんなに上手く行かなくても、楽しもうと思って楽しめなくても、スポーツをしてる最中や終わった後は彼女たちのような笑顔が出来る人間としてスポーツを楽しみたいと心底思いました。

だから、やっぱりスポーツって良いなって思いましたよ。野球も良いですよね。ほんと割とスポーツする環境に身を置けてて幸せです。

オリンピックとそこに参加する選手たちに、なんか大切なことを教えてもらったような気がします。

オリンピック、楽しんでます。

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