フィギュアのエキシビションを観て

やっぱフィギュアは良い。おぐーです。

試合の緊張感のなか滑るスケーティングと魅せる楽しさのなか滑るスケーティングとどちらも甲乙つけ難い魅力があってどちらも好きだが、純粋にスケーティングを楽しめるという意味でボクはエキシビションが好きだ。

もちろん試合あってのエキシビションであることはわかっている。あくまでこれはオマケだ。

でもそのおまけの方に選手の人間性が表現されていると感じるのは観てる誰もが思うと思う。

フィギュアスケートが技術寄りになって久しい。曖昧な印象点から不正採点が横行し、テクニカル、プログラムコンポーネントによる採点になり今に至るが、テクニカル部分の競争が激しすぎて技合戦になっている。

昔のフィギュアはもう少し味があったというかスポーツと芸術の融合という言葉を体現したスポーツだったと記憶する。

ヤグディンやプルシェンコ、キャンデロロ、スルツカヤあたりのスケーターが現役だった頃は今よりも選手の個性が尖っていた。

オリンピックなんだから技合戦で良いとは思うのだが、フィギュアスケートは一種特殊な競技で、なんというか観客をスケーターの世界に引き込む様なところが魅力的なスポーツだ。今は技の比重が大きすぎて技追求を優先しないと試合に勝てない。そうするとフィギュアの大きな魅力であったスケーターの世界に観客を引き込む、といったカリスマ性を持つスケーターの誕生が望みにくい残念な状態になっている。

技の得点だけで言うと女子フィギュアでは四回転マシーンのトゥルソワがトップだろう。だがオグーの感想としては四回転が適度に入り、その他の表現の柔らかさなどがあってバランスがとれていたシェルバコワの方が演技として成熟していたし魅力もあったので僅差で優勝だろうなというのが見終わった感想で実際そうだったから納得の金銀の順位だった。

が、それでも何か昔より物足りないような気がすると言うのが正直な感想だ。

ジャンプがないアイスダンスとジャンプがあるペアがあるように、シングルも技重視のテクニカルシングルと表現重視のエモーショナルシングルとかにいっそ分けてそれぞれを追求したらどうだろうかと。それだとフィギュアスケートの一番の魅力、スポーツと芸術の融合を否定してるみたいになるが、それは違う。表現者がどちらを重視するのかを表現者それぞれに委ねるのだ。

そして両種目の優勝者、準優勝者の合計4人でエキシビジョンファイナル的な決勝戦をやるのだ。

エキシビジョンファイナルは本当の意味で自由な構成で良く、バックフリップだろうが衣装だろうが音楽だろうが照明だろうが好きに発想したプログラムで演じれば良い。

技術のスケーターか、表現力のスケーターか、はたまたその良いとこ取りのスケーターか、誰が勝つかを楽しめば良い。

そのためにも今の技重視の採点は少し再考した方が良いと、ワリエワのドーピング騒動をみていて思った。

ワリエワがあんな痛々しいフリーの演技になってしまってオグーは出場を許可した判断者の感想を聞いてみたいよ。あれは余りに可哀想でならない。夢も希望も打ち砕いてしまってどう責任を取ると言うのか。原則にしたがって欠場させておけばあんな事にはならなかったのに。

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